東日本大震災報告会『被災地からの発信』(3)「ことば」のちから ~『被災地からの発信』に寄せる

「ことば」のちから ~『被災地からの発信』に寄せる

 2011年3月11日に、おもに東北地方の太平洋沿岸部を襲った地震や津波による惨憺とした被害の状況や、福島第一原子力発電所の事故災害による甚大な影響は、新聞、テレビ等のマスコミにより、これまでも、数えきれないほどの報道がなされるのに接し、また、この大震災に関連したシンポジウムの開催も耳にすることが多い。しかしながら、この報告会は、被災地となった宮城県、福島県、岩手県の各土地家屋調査士会の協同により企画され、土地家屋調査士としての視点を通して、現地での有り様やその対応などについて語り伝えるものであると聞き及んだことに、強い関心を抱いた。いつかは、おそらくは、自分自身も震災の直接当事者となるであろうことは、決して不思議なことではないし、その可能性のないものではなかろう。そのときは、いったい、何が起こるのか、何ができるのか? 個人として、家族として、地域住民として、そして、土地家屋調査士として?

 報告会は、3部構成で行われた。第1部「被災体験を聞く」、第2部「土地家屋調査士と震災業務」、第3部「 震災と土地家屋調査士」、である。  第1部の所要時間が当初の予定より大幅に押してしまったためか、第2部の報告の、おそらくは大部分が割愛されてしまったのは非常に残念ではあった。しかしながら、第1部において、事務所や自宅が被災された会員の方々の体験談は、実際にその五感を通して経験した者でなければ語ることのできない現実を、聴衆の胸のうちに刻みつけたことだろう。そのなかの、印象に残るいくつかの「ことば」を紹介する。

 「津波てんでんこ」~大船渡市内の事務所が被災した。海岸からは3kmほど離れているが、30分後に津波が到達。ちなみに「てんでんこ」とは、「それぞれ」といった意味の方言で、地元では昔から、地震が起きたら、なりふり構わず、他人や親兄弟にも構わずに、とにかく津波から逃れろ、といった教訓として伝えられてきた。今回、大きな揺れが収まった直後、まずは職員を帰し、最後に自分が避難しようとしたら、事務所の前で、先に車で待機していたはずの妻がいない。見るとその車が、猛スピードで走り去っていく。手を振り、大声で呼びながら追い駆けたが、待ってはくれなかった。その時はすでに、足首あたりまで波が来ていた。  「被害を大きくしたのは、ここまで津波が来ないという思い込みがあったからかもしれない」~宮城県南部にある自宅が津波に遭った。いったん避難したにもかかわらず、家の様子を見に戻って命を落とされた方もいた。自宅が流されることはなかったが、1階部分が壊滅し、大切な家族の思い出を失った。津波の激流の中に自宅がたたずむ映像を入手したので上映する。  「野生化した牛は捕獲困難。豚などが民家に入り込み、食糧を喰いあさっている」~事務所が原発から半径20km圏内にあるため避難中。一時帰宅するにも、通行許可証をとり、防護服を着て、検問所を通らなければならない。もとは家畜だった牛や豚が野生化し、なかでも被災後に生まれた牛は捕獲が困難。立入りが制限されているため、人の手が入らずに荒れてしまう家も多い。圏外の周辺地域を移動するにも、大きく迂回路をとらなければならないため、業務に支障をきたしている会員もいる。  「事前のマニュアルは、機能しない」~宮城会役員。14日に対策本部を立ち上げたが、ゼロから手探りの状態で、臨機応変に対処するしかなかった。全国から物資の支援を受けたこと、会員が手分けして配送に尽力してくれたことに感謝する。  この第1部の報告のさなかに、震度4の地震が発生。会場に一時、緊張が走ったように感じたが、現地の方々は、もう慣れてしまった様子。いまだ彼の地を取り巻く状況の一端を垣間見る。

 第3部は、早稲田大学大学院法務研究科教授である山野目章夫先生による総括となった。ちなみに先生は、福島県出身であり、阪神淡路大震災による被災マンションの復興に関する研究で著書も出されている。  「建物の滅失は、新築の逆の事象ではない」~単に建物認定要件のいくつかが失われたでは済まされない現実がある。法律上の申請義務者の意思による滅失ではなく、現地で調査に協力している土地家屋調査士が判断に苦慮している一因でもある。  「被災マンションの復興ということが、神戸と異なり、東北ではほとんど問題にならない。それがかえって、被災の深刻さを浮き彫りにしている」~阪神淡路大震災発生当時の経験を踏まえて見れば、まず、日本経済全体の活力が低下しているのではないか。それは再建への意欲にも大きくかかわる。ただし、今回の被災地域のほとんどは、市街地でなく、そもそもマンションが少なかったのではないかとも考えられる。あるいは、マンションの再建が議論に取り上げられないほどに、沿岸部が徹底的に壊滅させられたということかもしれない。それは、復興ということばをたやすく使ってほしくないほどに、事態の深刻さを露呈しているのではないか。現地の人々は、「復興」ではなく、「再生」をこそ望んでいるのかもしれない。  「震災で両親を失った子らの未来にも、思いを致さなければならない」~両親、すなわち親権者を震災で一度に失った子らの直面する問題、その子らの権利保護にも目を向けなければならない。一方で、これらの課題に関する法律上、実務上の取り扱いを見直さなければならない契機もみられる。

 翌日は、被災地バス見学に参加した。南三陸町志津川地区、気仙沼市鹿折地区、陸前高田市内をめぐる。移動中の車内では、おもに気仙沼支部会員の方が案内役を務められ、自らの体験を語り聞かせてくれた。彼女の語る「現実」のすべてをここで伝えることのできないことが、もどかしい。彼女の話は、被災建物調査においての悩み多い滅失の認定や、建築設計事務所も兼業する目から見た、被災建物の有り様、被害の違いなどの、プロとしての視点ばかりでなく、現地で暮らす生活者としての視点、すなわち、被災直後からの地域住民がとった行動に関する見聞など、多岐にわたる。例えば、  コンビニエンスストアや、商店の対応。停電のためレジスターなどが使用不能のなか、少しでも多くの人々の手に生活必需品が渡るよう懸命に努力した店。その一方で、物資の不足に乗じ、客の足元を見て高値を付けた店は、その後、地域住民の信用を失った。  津波で流された家財をあさる盗人。こじ開けられた金庫が点在していた。漁村地区では、泥棒除けのまじないとして、昔から多額の現金を台所の鍋の中などに保管する習慣があったが、それがかえって災いとなり、当面の生活資金をも失うこととなってしまった。  もともとは同じ集落に暮らしていた者どうしなのに、家を失った住民とそうではない住民とのあいだに、疑心や軋轢が生じ、互いの不信感が増幅した、など。  被災することもなければ、おそらくは、見聞きすることもなかったであろう、見聞きしたくもなかったであろう、人間の卑しさ、醜悪さといった一面を、否応なく突きつけられたに違いない。たまたま目にした彼女の手許のノートには、手書きの文字がびっしりと書き込まれていた。きっとこの日のために、周到に準備を重ね、自らの経験に照らし、語り伝えるべきことばを探し求め、心を整理していたことだろう。たびたび繰り返された「という現実があったのも事実なんです」という語り口が、今も耳に残る。

 陸前高田市の語り部ガイドは、もともと当地の観光ガイドだった男性。地元の訛りを連発しつつ、かつての高田松原の景観を写真で示しながら、目の前に広がる光景との落差をサービス精神たっぷりに案内する。 「白砂青松の美観が失われたあとになって、かえって観光客が増えた」~マスコミで有名になった奇跡の一本松は、ただいま入院中とのこと。  当初は、そのユーモアともアイロニーとも取れる語り調子に、やや戸惑いも覚えたほどであったが……。 「もっとも情報が必要な場所、人々に、今、何が起きているのかが、伝わらなかった」~被災した旧市庁舎の前にて。今も被害の状況が生々しく残る。設けられた祭壇に合掌。 「表面上がれきが片付けられ、整理されたように見えるが、肝腎の生活の復興には程遠い」~がれきの分別、処理については、もはや素人のできることはない。復興費の振り分けについては、もっと地元の意見を汲み上げてほしい。被災直後は、電気も風呂もしばらく使えず、嫁ぎ先の娘、親類や知人からの援助で何とかしのいだ。  彼もまた、被災者のひとりであり、故郷の再興を心から願っていた。地域の雇用促進にもできる限り協力している、とのことであった。

 以上の「ことば」は、私の記憶を頼りに、ほんの一部を書き出してみたにすぎない。彼らが大勢の聴衆の前で、自身の体験を語れるにいたるまでに、どれほどの葛藤や、乗り越えなければならなかった心の痛み、つらさがあったかは、私には、推測してみることしかできない。しかし、個人的、主観的な経験というものを対象化し、他者に伝え、共有するという営みは、「ことば」によってこそなされ、「ことば」によってのみ可能となる。  『旧約聖書』の創世記では、天地創造は、ことば(ロゴス)によってなされたとされる。ならば、いったん破壊された大地や人間の営みの再生も、「ことば」のちからが契機になることによって、成し遂げられるに違いない。  ちなみに、土地家屋調査士制度広報キャラクターの「地識くん」は、ミネルヴァのふくろう、すなわちローマ神話の知恵の神の使い(それはたびたび、知性や哲学の比喩として用いられる)をモデルとしたと、どこかで読んだ記憶がある。その出典は、ヘーゲル『法の哲学』序文であるが、彼はこの序文において、哲学の確信するところとして、「理性的であるものこそ現実的であり、現実的であるものこそ理性的である。」と宣言し、その序文の末尾を次のように結んでいる。

 熱きにもあらず、冷やかにもあらず、それゆえに吐き出されるようなしろものたる、真理にだんだん近づく哲学などでもっては理性は満足しない。他方また、この現世ではたしかに万事がひどいか、せいぜい中くらいの状態だということは認めるが、そこではどうせましなものは得られないものとし、それゆえただ現実との平和が保たれさえすればいいとするような、冷たい絶望でもっても理性は満足しない。認識が得させるものは、もっと熱い、現実との平和である。  世界がいかにあるべきかを教えることにかんしてなお一言つけくわえるなら、そのためには哲学はもともと、いつも来方がおそすぎるのである。哲学は世界の思想である以上、現実がその形成過程を完了しておのれを仕上げたあとではじめて、哲学は時間のなかに現われる。これは概念が教えるところであるが、歴史もまた必然的に示しているように、現実の成熟のなかではじめて、観念的なものは実在的なものの向こうを張って現われ、この同じ世界をその実体においてとらえて、これを一つの知的な王国のすがたでおのれに建設するのである。  哲学がその理論の灰色に灰色をかさねてえがくとき、生の一つのすがたはすでに老いたものとなっているのであって、灰色に灰色ではその生のすがたは若返らされはせず、ただ認識されるだけである。ミネルヴァのふくろうは、たそがれがやってくるとはじめて飛びはじめる。 ~ ヘーゲル『法の哲学』藤野渉・赤沢正敏訳 中央公論社(中公バックス世界の名著44)より引用

 ここにいう灰色の理論とは、ゲーテ『ファウスト』に登場する悪魔メフィストフェレスの甘言「ねえ君。すべての理論は灰色で、緑に茂るのは生命の黄金の樹さ。」に由来するが、学生を誘惑する悪魔の嘲りに、我々は軽々しく乗せられてはならないだろう。「ことば」は、経験を対象化することによってもたらされるが、現実世界の出来事と対峙し、それに働きかけることのできる手段となるのは、「ことば」によって獲得される知性(理性)にほかならないのだから。

 破壊の先にある再生と創造、その原動力となるべき第一歩は、「ことば」のちからにあることを、信じたい。それらを受けとめる我々の可能性とともに。

研修部長 佐川 祐介

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