【広報ニュース】神奈川縣下外國人遊歩規程測量の研究 その1 ~明治の痕跡を求めて~

神奈川縣下外國人遊歩規程測量の研究 その1 ~明治の痕跡を求めて~

はじめに
 平成25年2月21日に開催された「平成24年度第2回会員・一般研修会」で神奈川縣下外國人遊歩規程測量についての講演を行いましたが、講師を勤めた田村佳章会員(横浜北支部)がその後も継続して調査、研究を行っています。今回は研修会後に行われた追加調査の結果を発表したいと思います。                              (広報部)

研修のおさらい
神奈川縣下外國人遊歩規程とは
 江戸時代末期に黒船来航をきっかけとして開国した江戸幕府は、米国と日米和親条約(神奈川条約)、続いて日米修好通商条約を締結します。しかし、外国人の自由な往来を規制したい幕府は、条約で『下田・函館・神奈川・長崎・新潟・兵庫』の6港を開港すると共に、米国人(外国人)の通行可能範囲を『開港した場所から10里(39.2km)以内』と規制していました。これにより神奈川県内でも横浜(関内)の外国人居留地から原則10里(東は多摩川、西は酒匂川東岸)に限り通行可能とされました。これが『神奈川縣下外國人遊歩規程』です。

神奈川縣下外國人遊歩規程測量とは
 明治時代になると1874年(明治7年)には外国人内地旅行允準条令が制定され遊歩規程外への許可基準が明文化されました。しかし、当時の制限距離10里の位置は伊能忠敬の実測図や英国の出版図面などにより定めたもので、精密な測量によるものではありませんでした。そこで、外国公使などからの要望により1875年(明治8年)12月に内務省地理寮(現在の国土地理院に相当)は三角測量の指令を受け1876年(明治9年)3月より測量計画を実施しました。これが『神奈川縣下外國人遊歩規程測量』です。

神奈川縣下外國人遊歩規程測量の概要
 現在の横浜、小田原間に測点60点、補助点8点の三角網が構成され、測点には標石が設置されました。また、当時は長い距離を直接測定する方法がなかったため測量方法は三角測量で(三角測量の詳細については説明を省略します)、既に測量が実施されていた東京湾一帯の三角測量成果に基づき、横浜三角が与点とされました。  また、設置された測点と補助点計68箇所の内、44箇所については面積「1歩(3.30㎡)」、地目「測点敷地」の官有地として地図に準ずる図面(以下、公図)に地番が付されています。

調査、研究の目的
①明治時代の産業遺産の発掘と保存
 神奈川縣下外國人遊歩規程測量の際に設置された三角点は現在測量標としての価値を失い、標石の多くが亡失もしくは設置場所が不明となっています。しかし、近代測量の黎明期に行われた三角測量であること、また行われた時期と目的が明確であることなど歴史的価値は高いと言えます。残存する標石を発見し、忘れ去られた産業遺産の発掘と保存を行いたいと考えています。


②当時の三角測量の精度の検証
 残存する標石の位置をVRS-RTK-GPS測量で観測し、得られた公共座標値による標石間の距離と三角点網図に記載された点間距離を比較することで、当時の測量精度を検証します。
③公図の精度の検証
 公図に標石の位置の記載はありませんが、標石が設置されていた土地は「測点敷地」として記載され、地番が付されているため、公図上の「測点敷地」と現地の標石を重ね合わせることで、公図の精度を検証します。


④その他
 一連の調査、検証を通してVRS-RTK-GPS測量の利便性と有効性の確認、また標石を境界点とみなし、公共座標値を用いた測量を行うことでの境界点の現地復元性、再現性なども検証します。また、より多くの測点を発見、測量することにより、経年変化(関東大震災などの地殻変動の影響)もある程度推測できると考えています。

調査(不明点の探索と観測)の手順
①交点計算により任意の座標値の算出
 残念ながら測量成果(手簿や計算簿、座標値など)は残っていませんが、国立公文書館に当時の三角点網図が保管されており、測点名と位置、測点間の距離を知ることが出来ます。点間距離を元に任意の座標値で交点計算を行い、各測点を座標化します。
②GNSS(GPS)測量により残存点の公共座標値を取得
 残存が確認されている標石についてGNSS(VRS-RTK-GPS)測量を行い、公共座標値を取得します。
③取得した公共座標値を元に任意の座標値を公共座標値へ変換
 取得した公共座標値を用いて任意座標値を公共座標値にヘルマート変換します。
④変換した公共座標値を元に未発見の標石を探索
ヘルマート変換により求めた公共座標値を元に、GNSS測量を用いて現地に逆打ちし、標石を探索します。
⑤GNSS(GPS)測量により発見した標石の再測量、公共座標値を取得

途中結果の報告
 現時点で判明している標石の残存状況の整理と任意座標による座標化(上記手順①)まで終了しています。今回は残存している標石のGNSS測量を行いました(上記手順②)。

測量方法
・測点周辺は木々に覆われGNSS測量に適さない場所も多いため、現地の状況に応じて以下のいずれかの方法で観測しました。
①標石上に直接アンテナを設置し観測する方法(直接測定)
②近傍に器械点と、ある程度はなれた場所に方向点を設置し、GNSS測量とトータルステーションによる放射トラバース観測を併用する方法(間接測定) ・観測は20エポックの4回観測を基本とし、1回観測するごとに初期化しています。  
GNSS測量に使用した機器 ・Leica GNSS(GPS衛星にのみ対応)

観測結果
・GNSS(GPS)測量による測量結果はこちら ・平成27年5月29日現在の調査結果はこちら

今回の調査を終えて
 測量が居留地から10里の位置を特定するだけの目的であれば、測点については一時的な木杭でも充分なはずです。しかし実際の標石を見ると、現在の三角点と比較しても過剰とも思えるほど大型であることが分かります。しかも設置した場所をわざわざ官有地としていることを考えると当初、永続的に管理、使用することを想定していたものと思われます。しかし、その後この測量成果が近代測量で使用された形跡はありません。この理由については
・目的が西洋列強に対するアピールだった  10里の位置を正確に求めることに対する外圧が大変強く、西洋列強で行われている近代測量の手法に基づいた正確な測量であることをアピールする必要があった、または西洋列強と同等の技術力があることを示すため、あえてオーバークオリティとも言える測量を行った。
・測点の配置に問題があった  神奈川県限定の測量であったため、全国規模で測量するには三角網に偏りがあり、利用できなかった。
・近代測量の予行演習だった  いずれ行われる全国規模の三角測量の予行演習を兼ねていた(神奈川縣下外國人遊歩規程測量については三角点網図に測量に携わった測量技術者の氏名が記されており、日本人が測量作業を行ったことが分かっています)。

などの理由が想像できますが、資料が存在しないため現時点では詳細は不明です。今後調査を進める中で、何か手掛かりが見つかることを期待しています。

調査でお世話になった方  上西 勝也 様(京都府在住)

gaikoku0011測点番号24
手前にあるのは蓋石(裏返した状態)です。標石の上に被せられ、標石を保護しています。過去に調査に訪れた方がいることをうかがわせるメモが残されていました。
gaikoku0012測点番号24
蓋石で保護されているため、状態は良好です。地理寮、測点、第24号の文字がはっきりと判別できます。近隣にお住いの方の話では、標石のある畑の所有者も標石の存在を把握しており、大切に保護されているとのことでした。文字も赤色で着色されていました。
gaikoku0013測点番号41
奥で田村会員が指差している位置に標石があります。周囲は樹木で覆われ上空視界が確保できないため、トータルステーションを併用しました。手前に写っているのは今回使用したGNSS測量器。
gaikoku0014測点番号41
奥の小高い岡の上に標石があります。手前のターゲットは方向角を求めるための方向点。VRS-RTK-GPS法で複数回観測し、求められた公共座標値の平均値を使用しました。
gaikoku0015測点番号56
小屋の裏に標石があり、小屋には所有者によるものと思われる案内表示がありました。訪れる見学者がいることを物語っています。
gaikoku0016測点番号56
残念ながら蓋石がなく、標石が露出しているため、状態はあまりよくありませんでした。現行の三角点と比べると、かなり大型であることがわかります。
(記事 広報部長 中川 裕久) (監修 横浜北支部 田村 佳章)

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