「丈量の歴史を学ぶ」地図と測量の科学館、伊能記念館 視察研修に参加して

 平成24年7月4日 境界鑑定業務等業務研修の第3回視察研修として筑波の国土地理院「地図と測量の科学館」と千葉の「伊能記念館」の視察研修に行ってまいりました。  朝8時横浜駅集合し、バスで一日移動しながらの研修でしたので、日ごろの激務のせいか行きのバスの中ではいびきもちらほら聞こえていました。

 科学館では、実際に空中写真を撮影していた測量用航空機「くにかぜ」を下からのぞいて対物レンズを直接触れてみたり、日本列島球体模型の上で「竹島」の位置を再確認するなど受講生はそれぞれの視点で楽しんだようです。また、さすが調査士!中には、かつて神奈川県で行われていた、「外国人遊歩規定測量」について、質問するのかと思いきや、科学館に展示されている標石の謂れを地理院の案内の方にレクチャーするほどの兵もおり、案内の方の冷や汗を誘っていました。また、オリエンティションルームでは、委員会で事前に質問しておいた「測量成果複製使用承認申請」の手続きなどについてパワーポイントを用いて地理院の方が丁寧に解説してくださいました。

 少し残念だったのは、科学館が全体にパソコンがたくさん並んで、視覚的に地図を加工する技術的な側面が強調されたのはいいのですが、以前来た時よりも、過去の測量器や、測量技術の手法や歴史的背景を説明した展示が、人気がないのか、縮小されてしまっていたことです。  本当は三角測量の基線測量にどのような機器を用いてどんな手順で、正確さについてこだわって行われていたのかなど知りたかった受講生も多かったのではないでしょうか。  しかしながら、やはり国土地理院は国土交通省の測量の旗頭としてきっちり予算がかけられ、参加者とのコミュニケーションの図り方を含めて参考になったことは否めません。今後も事前の打ち合わせなどを充実させ、さらに良い研修になるよう工夫していきます。  さて、いまひとつ?だった昼食をさっさと済ませ次に「伊能記念館」です。

 佐原の町に近づくと、まず目に留まったのは、屋根が壊れて補修中の家屋が多数あることです。佐原は潮来も近く、液状化等3.11東日本大震災の影響を色濃く残していました。 そのため、伊能記念館そのものは完全に復旧していましたが、隣接する伊能忠敬の生家は、補修工事中でほとんど見学できませんでした。

 記念館も案内をお願いし、当時の測量器具や、測量成果、野帳のようなもの、下図などの説明を聞きながら見学し、当時の測量に思いをめぐらせました。  でも、「50過ぎてから、よくぞここまで・・・。」と感動と同時に、違う思いが巡ります。 「いくらお金もらっても、今の最新の測量器使っても、こんなに広い地域を測量するのはやだよね。!」と。「もしかして測量嫌いなのかな?」・・・。  それほどの偉業を成し遂げた伊能ですが、彼を幾多の苦難に向かって成し遂げる原動力となったのは一体何だったのか。この辺の疑問はいくら語ってもつきません。

 今回の研修の目的は、鑑定業務等の研修において、不可欠な古文書の読み込みや当時の測量技術、道具などに対する知識を深め、古い測量成果に対して、その時代背景、機器の精度などから測量成果に正確な評価を下せるようになるには、机に向かって、講義を聴いているだけでは限界があるのではないかという大竹委員長の発案から始まりました。  本会で初めての視察研修ということもあり、至らぬ点も多々あったかと思いますが、ご意見はお伺いして今後に生かしていければと考えています。参加者の皆様お疲れ様でした。  また、次回以降も継続できるのであれば、スポットでもいいので皆様の参加をお待ちしています。

ADR筆界特定境界鑑定委員 石井幸世

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