被災調査士からの報告、現地視察を終えて 12月15日、16日の土日を利用し、「百聞は一見にしかず」の気持ちで、被災された調査士の話・現地案内に参加しました。 15日は仙台国際センターでの被災調査士からの報告会、16日は被災調査士の案内によりバスで被災地案内・説明と、東日本大震災が発生した時の揺れや津波の状況、津波等から避難するときの状況、その後1日、2日~と厳しい状況下での困難に面した時のお話、それより1年9ヶ月後の今日までの復興状況等を詳しく話していただきました。 現地で見聞きしたことを一部列記してみますと 震災当日は見ているだけで何とも言えない空しさ、涙が止まらない、何をしなければいけないのか解らなかった。 災害発生時の家族避難場所を平素から決めておくこと、今回の震災においても連絡が取れなくなり家族それぞれが探しに行き、行き違いになるようなことが多くあったとのことです。又、災害発生時は電話ではなく、メールでのやり取りが有効だそうです。 津波は大きな力があり、特に引き波は大きな力を持って破壊し、沖へさらっていく、今回の震災においてもその通りであったとのことです。 津波発生時には往々にして異常気象となり、東日本大震災では雪が降り始め、非常に寒くなったとのことであります。 地域によっては、津波では助かったが火事で亡くなった方も多数おられたとのことであります。 南三陸町の防災庁舎は地域の調査士会無料不動産登記相談の会場としても利用されていたとのことで、身近に感じたのですが、津波により建物は鉄骨だけの状態に破壊され、かつ付近では平均80cmも地盤沈下し多くの犠牲者をだし、現地一帯は燦燦たるものでありました。 陸前高田市でもしかりで、市庁舎、市民会館、体育館をはじめとして地域全体が津波により破壊され、地盤沈下もあり、何とも表現できない状況でした。
南三陸町防災庁舎
無 ただ合掌
列記したのは、一部のことですが、このようなことを踏まえ、自分は震災発生時から何をしてきただろうと考えると、震災当初は家族で話をして義援金で応援をし、その後も機会があるたびに義援金箱に協力し、今日に至りましたが、被災地へ旅行をすることも間接的な応援方法の一つだと思い、早速仲間たちと福島方面に旅行もしました。これから先もいろいろな形で応援をしていきたいと思っています。
陸前高田市庁舎付近
何もない 壊すのを待つだけ
震災に遭われた方々は深い悲しみの後、1年9ヶ月を経ても心の奥につらいものがこみあげてくると思います。自分にこのようなことが起こったら何を考え、どのように行動したのだろうと自分に置き換えて考えてみてもこれといった結論は出ません、しかし、海の近くで地震に遭遇したら、何はともあれ一番に高いところに避難すると強く思いました。 東日本大震災において、昔の教訓が生かされていない、国、県、市町村の規制値が甘く人災ではないかとの話も出ていましたが、後の祭りです。これからの教訓として、この経験が生かされることを願うばかりであります。 被災地調査士の皆様、貴重な体験談をありがとうございました、私もこれからの人生、苦しいときには東日本大震災のお話を思い出し、頑張って進んでいきたいと思います。 最後に東日本大震災で多くの亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被災された方々の早期復興を願います。 広報部 松浦孝二
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