【調査士ねっとわーく】若き日の思い出

 私は昔、大学を卒業した後、石油・LPガスを主体とした燃料系総合商社に勤めておりました。

 当時、仕入れ先である某石油元売メーカーが主催する特約店対抗の軟式野球大会が年に一度秋に開かれていました。

 当時私は勤めていた会社の野球部に所属しておりましたが、ある年の大会で所属する野球部は某石油元売メーカーの関東支店チームと対戦しました。

 相手チームの投手は、ある年の春の選抜高校野球大会の準優勝投手でした。こちらのチームの投手も名門高校野球部の投手OB。  息詰まる投手戦が展開されました。

 相手投手の右サイドハンドから繰り出される球は、スピード・コントロールにおいて我々の認識をはるかに超えた異次元のものでした。

 第一打席、インコース高めの球を強振した結果はセカンドゴロ。それ以降、インコースには1球も投げてこず、徹底してアウトコース低め攻め。

 第二打席・第三打席共にフォアボールを選び、2対4で迎えた最終第4打席、二死満塁の場面で私に打順が回ってきました。

 この打席も相手投手は徹底してアウトコース低めに快速球を投げ込んできます。スリーボール・ツーストライクと粘り迎えた第6球、アウトコース低めいっぱいの球にかろうじてバットに当ててファウルボール。

 続いて第7球も同じくアウトコース低めいっぱいの球に同じくかろうじてバットに当ててファウルボール。

 第8球も同じくアウトコース低めいっぱいの球にファウルボール。  その時は、素人の私も選抜甲子園準優勝投手相手に必死で対戦しておりましたので、周りの声援や音も全く耳に入らない、いわゆるゾーンに入った状態だった様に記憶しています。

 迎えた第9球、同じくアウトコース低めいっぱいに投じられ、思わずバットが出かかりましたが、「低い‼」と思って見逃した結果、球審も一呼吸あった後に「ボール‼」の判定。

 結果、押し出しのフォアボールを選びました。  残念ながら次の打者が三振に倒れ試合には敗れてしまいましたが、私個人的にはヒットこそ打てなかったものの、選抜甲子園準優勝投手から押し出しフォアボールを勝ち得た事は今でも私の小さな自慢であり、今でも時折思い出す若き日のいい思い出です。

(記事 横須賀支部広報員 梶谷 信太郎)

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