三角点のディープな世界 私たち土地家屋調査士にとって「三角点」とは「測量の基準」であり大切なものですが、実務で使用するのは市町村が設置した「公共基準点」が大半であり、三角点自体にはあまりなじみがないのではないでしょうか(注1)。 しかし、世の中には測量とは別の視点で三角点に注目している方々がいます。 たとえば、登山を趣味としている方の中には、国土地理院発行の2万5千分の1の地形図から三角点の記号を見つけ出し、「現地で標石を探し、写真を撮る」ことを登山の目的としている方もいます。 今回、三角点の標石そのものに注目し、研究しているグループ(正式名称がないため、仮に“標石研究会”とします)のメンバーと交流する機会がありました。 (注1)現在は電子基準点を与点とした公共基準点もあるようですが、多くの公共基準点は三角点を元に設置されています。 標石研究会との出会い 標石研究会では以前より独自に「神奈川縣下外國人遊歩規程測量」の標石を調査、探索しており、同じく標石を研究している横浜北支部の田村佳章会員とは交流がありました。 すでに発見されている標石の場所の情報や、公文書館に保管されている原本から複製した「三角点網図」の提供など、多大な協力をいただいています。 測点番号33と測点番号40の標石を案内 平成29年10月17日に田村佳章会員を中心としたグループにより未発見の標石が発掘されたとの報を受けた標石研究会から、標石を探訪、調査したいとの申し出があり、田村会員と筆者が同行することになりました。 日 時:平成30年1月21日(日)10時 JR二宮駅前集合 参加者:標石研究会から7名、神奈川県土地家屋調査士会から2名、計9名 行 程:JR二宮駅→40号探訪→36号(注2)探訪→33号探訪 (注2)測点番号36は標石と蓋石が大磯町郷土資料館に寄贈され、資料館入り口脇に移設、展示されています。 まずは測点番号40を探訪。 写真ではわかりませんが、菜の花の季節でしかも日曜日。 公園には多くの人出があり、標石周辺にはたちまち人だかりが。 質問にはメンバーが丁寧に応対していました。 見学者の中には神奈川大学の名誉教授も。 ちなみに、掘削の許可は得ています。 参加メンバーで記念撮影。左から4人目が田村会員。 メンバーは会社経営者や各種団体の会員など職業もさまざま。 三角点だけでなく水準点の研究をしている方や、現在は使用されず、 事実上廃点してしまった三角点、水準点に注目している方もいます。 また、居住地も茨城県、栃木県などさまざま。 京都(!)から1泊で(!!)こられた方も。 続いて測点番号36を探訪。 こちらは大磯町郷土資料館入り口脇に屋外展示されています。 当たり前ですが、本来の位置ではありません。 ちなみに左のポストは大磯郵便局からの寄贈品です(投函不可です)。 きちんと説明文もありました。 本来は地中に埋没している本体部分も露出しているため、 標石の全体像がよくわかります。 上部にあるのは標石上面を保護する「蓋石」です。 説明文。標石上面は劣化が激しく文字は不鮮明ですが、 説明文によると測点の点は「点」。 36号の号は「號」のようです。 標石を調査するメンバー。 説明文を一目見てすぐさま 「こりゃいかんなー。規程の程の字が違っとる!」。 さすがです。皆さんは気が付かれたでしょうか。 最後に測点番号33を探訪、記念撮影。 皆さんの三角点、水準点に対する着眼点はさまざまで、字体に注目している方、材質に注目している方、寸法や“点の記”を詳細に記録している方、標石の“拓本”を収集している方、設置機関の歴史的な背景に着目している方など、大いに刺激を受けました。 神奈川縣下外國人遊歩規程測量の標石については、10里の位置を求めるだけなら一時的な丸太(木杭)などでも充分で、むしろ10里の位置に石碑などを建てたほうがよいはずです。 しかし、①測点ごとに番号が刻印された標石を設置していること、②保護のための蓋石があること、③設置場所を官有地(国有地)としていることから、当初より標石そのものを残存させることを考慮していたことは明らかです。 しかし、その後、標石(測量成果)が測量に使用された形跡はありません。このことについては標石研究会でも謎とされていますが、「後年、諸外国から測量結果について疑義が発せられた時、測量成果について検証できるよう、いわば “証拠”として標石を保存したのではないか」との意見がメンバーからありました。歴史に対する興味は尽きません。 (記事・写真 相模原支部 中川 裕久) (監修 横浜北支部 田村 佳章)
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